コトコト十津川 古道歩き

十津川の古道と歴史について調べたこと聞いたこと行ったとこ

西熊野街道について①


西熊野街道とは…

五條を通る紀州街道から分かれて、

168号線に沿うように南へ走る街道です。

 

途中(果無峠の手前、石楠辺)というところで、

高野街道

つまりは熊野古道小辺路と合流し、熊野本宮へと繋がっています。

 

参詣道として整備、利用されてきた小辺路

 

一方で、西熊野街道は、

より”人々の生活道”としての役割を担いながら、

集落と集落を結び、

幾年もの間、人・モノ・情報を運んできました。

今でも街道沿いには、

谷間を沿うようにして作られた棚田跡や、

人々の信仰、心の拠り所であっただろうお堂跡などが見られます。

f:id:makko0125:20191203150532j:plain

今なお崩れることなくそこにある石垣。

 

「何でこんな山奥に住んでるんだろう???」

と、一見疑問を持ってしまう集落も、

実は西熊野街道をはじめとする山道が通っており、

アスファルトの道路が建設されるまでは、

交通など便のいい集落だったのだろうと予測できます。

 

かつては役場や警察署などの行政機関が、

今現在の小原ではなく、

この西熊野街道が通る小森という集落にあったということも、

その一例です。

また、西熊野街道が十津川の人々にとって、

重要な道として機能していたことが分かります。

f:id:makko0125:20191203150539j:plain

旧役場跡。(注:後ろに見える建物は役場でありません)

 

地元の人は、

”西熊野街道”という呼び名にはあまり馴染みはなく、

その土地土地で呼び名があったようですが、

おじいちゃんおばあちゃんからは、

「この道を通って役場へ行った。」

「この道は私たちの通学路だった。」

「隣の集落の祭りを見るために、この道を通って遊びに行った」

などの話をよく聞きました。

 

今現在、

十津川を縦断する国道168号線。

その国道と同じ役割を担い、

人々の生活を支えてきた西熊野街道

 

そして今なお残る、

街道沿いの人々の力強い生活の跡。

f:id:makko0125:20191203150542j:plain

小森と那知合の間にある掘り抜き。

 

ほんの一部にしか過ぎませんが、

シリーズにわたって、

実際に歩いた西熊野街道のルートやそこに関する情報などについて記録していきたいと思います。