西熊野街道について①
西熊野街道とは…
五條を通る紀州街道から分かれて、
168号線に沿うように南へ走る街道です。
途中(果無峠の手前、石楠辺)というところで、
高野街道、
つまりは熊野古道小辺路と合流し、熊野本宮へと繋がっています。
参詣道として整備、利用されてきた小辺路。
一方で、西熊野街道は、
より”人々の生活道”としての役割を担いながら、
集落と集落を結び、
幾年もの間、人・モノ・情報を運んできました。
今でも街道沿いには、
谷間を沿うようにして作られた棚田跡や、
人々の信仰、心の拠り所であっただろうお堂跡などが見られます。
「何でこんな山奥に住んでるんだろう???」
と、一見疑問を持ってしまう集落も、
実は西熊野街道をはじめとする山道が通っており、
アスファルトの道路が建設されるまでは、
交通など便のいい集落だったのだろうと予測できます。
かつては役場や警察署などの行政機関が、
今現在の小原ではなく、
この西熊野街道が通る小森という集落にあったということも、
その一例です。
また、西熊野街道が十津川の人々にとって、
重要な道として機能していたことが分かります。
地元の人は、
”西熊野街道”という呼び名にはあまり馴染みはなく、
その土地土地で呼び名があったようですが、
おじいちゃんおばあちゃんからは、
「この道を通って役場へ行った。」
「この道は私たちの通学路だった。」
「隣の集落の祭りを見るために、この道を通って遊びに行った」
などの話をよく聞きました。
今現在、
十津川を縦断する国道168号線。
その国道と同じ役割を担い、
人々の生活を支えてきた西熊野街道。
そして今なお残る、
街道沿いの人々の力強い生活の跡。
ほんの一部にしか過ぎませんが、
シリーズにわたって、
実際に歩いた西熊野街道のルートやそこに関する情報などについて記録していきたいと思います。